釧路の歴史と街の成り立ち

The history of Kushiro
2017.03.25 文化

江戸時代、北海道は蝦夷地と呼ばれ、釧路はアイヌ語で「クスリ」と呼ばれていました。寛永年間(1624~1643年)には松前藩の船が定期的に訪れてアイヌと交易をするようになり、木材や昆布の積み出しを行います。
寛政11年(1799年)に蝦夷地が幕府領になると、本州から移住した農民や漁民が増え、漁業や交易、交通の拠点となります。その後、明治政府のもとで蝦夷地は北海道になり、「クスリ」は釧路とあらためられました。明治32年(1899年)の釧路港の開港以後、釧路の街は飛躍的に発展していきます。

 

釧路の街は、釧路川と新釧路川を区切りに海岸沿いの3つのエリアに分かれます。大まかに分別すると、東側が「炭鉱の街」、真ん中が「漁業の街」(中心街) 、西側が「製紙の街」(工場地帯) となり、釧路の街が歴史のある3つの産業によって成り立っていることがわかります。

 

 

■漁業の街
City of Fishing

 
釧路の漁業は、江戸時代の末期に海岸の昆布を採ることから始まりました。明治時代の中頃、青森、秋田、新潟、富山などから多くの漁業者が移住し、沿岸や沖合での漁(主に、昆布、鮭、ニシン)が定着。エンジン付きの船の登場で漁業が発展し、ロシア(当時はソ連)やアラスカ近海の北洋漁業の基地として大量の漁獲高をあげ、昭和44年(1969年)から9年間も続けて水揚げ量日本一を記録しました。

 
昭和52年(1977年)の200海里規制以後、北洋での漁業が厳しくなったため、近年は再び沿岸漁業が見直され、シシャモやウニなどの養殖にも力を入れています。国内3大漁港のひとつである釧路漁港は、釧路の中心部にあります。

 

 

■炭鉱の街
City of Coal mine

 
石炭の採掘は明治維新の頃から始められ、函館港の開港に伴い、入港する外国船に燃料供給を行っていました。大正9年(1920年)には太平洋炭鉱株式会社が創業し、本格的に石炭を採掘。石炭への需要が伸びる中、従事者数は最大で約5000人、最盛期には年間261万トンもの石炭を採掘し、釧路を支える産業のひとつとなりました。

 
石油へのエネルギー転換により国内の炭鉱が次々と閉山された中、現在も規模を縮小しながら釧路コールマイン株式会社が国内唯一の坑内掘りの採炭を続けています。2019年の春まで、釧路川の東側では炭鉱列車が走っていました。

 

 

■製紙の街
City of Paper

 
日本製紙と王子製紙、釧路には2つの大きな製紙工場があります。日本製紙株式会社 釧路工場は大正9年(1920年)に操業を開始。山林と水、豊かな自然に恵まれた釧路の地で新聞用紙や溶解パルプの生産を行っています。昭和34年(1959年)には王子製紙株式会社 釧路工場が操業。こちらは阿寒湖から流れる阿寒川からの取水で、段ボール原紙、新聞用紙、各種印刷用紙を生産する総合製紙工場です。

 
製紙業は釧路を代表する基幹産業のひとつとなり、新釧路川河口から阿寒川河口の間の地域は、この2つの製紙工場を中心とした工場地帯になっています。日本製紙のクラブチームとして発足し、70年の歴史を持つアイスホッケーチーム「クレインズ」(現・ひがし北海道クレインズ)も有名です。 ※日本製紙株式会社 釧路工場は、2021年8月に紙生産を終了、9月に製紙事業を撤退しました。

 

釧路を代表する3つの産業の歴史と、それに伴う街の成り立ちを知っておけば、釧路の観光がますます面白くなりますよ。

 

Edo era, Hokkaido is called Ezo, Kushiro was referred to as "Kusuri" in the Ainu language. Kanei annual ship of Matsumae clan in (1624-1643 years) is now a trade with the Ainu to visit on a regular basis, make the shipment of wood and kelp.

When the 1799 year in Ezo is shogunate territory, more and more farmers and fishermen who emigrated from Honshu, will be the fishing and trade, transportation hub. Then, Ezo under the Meiji government becomes Hokkaido, "medicine" has been modified and Kushiro. 1899 of Kushiro Port of opened after, the city of Kushiro will continue to dramatically development.

 
The city of Kushiro is divided into three areas along the coast to separate the Kushiro River and Shin Kushiro River.With roughly fractionation, the east side is "the city of the coal mine", the middle is "the city of fishing" (city center), the West is "the city of paper" (industrial area), and the city of Kushiro is made up by three of the industry with a history you can see that is.

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